大雪で感じた恐怖と人生の発見
昨日の雪は大変でしたね。東京でも稀に見るドカ雪で、帰宅中はぎゅうぎゅう詰めになりながら何とか帰宅できました。
交通インフラに関わる方は本当に大変だったと思います。お疲れ様でした。
それにしても、東京はこういうときの混乱が凄まじいですね。昨晩は夕方17時に渋谷駅の地下鉄構内へ入ったんですが、目の前に広がるのは「すし詰め」の言葉がぴったりなぎゅうぎゅう詰めの状態。
その様子に戦慄しながらも、ゆっくり進む行列に混ざることに。そのときはまだ行列に若干の余裕があり、このまま進めばそのまま電車に乗れそうだと考えていたんです。
しかし、進むに連れて人口密度は増す一方。結局、数分も歩かないうちに完全に渋滞は停滞し、全く身動きが取れなくなってしまいました。
わずかに起こる列の動きを察知して、なんとか我先にと行列を分入って進む人の姿も。こんな状態では、列なんてあってないようなものですからね。
いやあ参ったなと思った頃、問題の事態に遭遇します。
地下鉄渋谷駅には10ヶ所以上の出入り口があるわけですが、その中でも圧倒的に人の出入りが激しい、ハチ公前から押し寄せるように人が入ってきたんです。
今までほぼ動きのなかった行列に、人の圧という大きな流れが加わります。
その圧に押されるがまま動かされたり、その圧に負けじと押し返す動きが生まれたり。1人1人は大したことのない動きが、瞬く間に行列を動かしていきました。
冷静な声で押さないでくださいという声が聞こえる一方、明らかにイライラした罵倒もちらほら聞こえる群衆。
もし少人数でもその場に倒れたりバランスを崩すことになったら、最悪人に押しつぶされて圧死するかも…。
後日そうしたケガに関連したニュースはなかったので、取り越し苦労だったと言えます。しかしあのときは、結構本気で目の前にあるリスクにおののいていました。
すると、ちょうど前方で駅から出ようという人の群れが。まずはこの場から立ち去ろうと思い、僕もその流れにしたがってなんとか列を抜け、渋谷駅を後にしたのでした。
眼前の危険から抜け出したとはいえ、これでは家に帰れません。
ひとまず暖かいところに避難するかと考えていた僕は、ダメ元で別の出入り口へ。ちょうどハチ公前とは反対にある、ヒカリエ方面から渋谷駅構内に入ることにしました。
そこは、駅入り口と改札とがほぼ直結しているような場所なので、もしかしたら混雑も少ないのでは?という希望があったんです。
結果として、それは大正解でした。先ほどの大混乱とは裏腹に、こっちは列こそあるものの全くもって秩序立った雰囲気。
そのまま大して待つこともなく、改札を抜けてプラットフォームへ直行することができました。改札の入場規制を抜けプラットフォーム、電車へと進んだ後は、無事に座ることもできなんとか帰宅が叶ったのでした。
あのまま行列にいたままだったら、果たして何時に帰れたことやら…。そう思うと、なんとも運のいい話だったと思います。
翌朝からは天気が良かったことで、路面の凍結も少なめであの時の苦労は?といった平穏さを取り戻していました。一部区間の遅れ以外は公共交通機関も平常通り運転しているし、大都市東京の交通、通信インフラを支えている人たちには本当に頭が上がりませんね。
帰りの電車に揺られている間、本当に運が良かったなあと思う反面、たった1つの選択でこうも得られる結果が違うのかと、あの数時間で起きた出来事をゆっくり反芻していました。
最初に経験した指一本動かせない渋滞はビジネスで言うところの「レッドオーシャン」、後半機転を利かせてたどり着いた電車までの道のりは「ブルーオーシャン」だったのかもしれません。
同じ結果-今回は電車に乗る-を実現するためにかけた労力は、後者の列に並んだ人の方が少ないはず。それでも、おそらくあのまま詰め詰めの列に並んだいた人よりも、早く結果を得られたと思います。
大勢の人でひしめき合う世界は、それだけのキャパシティとノウハウが詰まった安全地帯に見えて、実は個人では動かしようのないシステムがもう完成していて、気づけばその流れから抜け出せなくなっている可能性もあります。
ちなみに、これは別に「会社員とフリーランスのどちらがいいか」と言う職業選択の話をしているつもりはありません。現在僕はフリーランスを選んでいますが、会社員よりずっと幸せ!なんて1ミリも思ってませんし。
そうではなく、幸せとかお金とか何か手に入れたいものがあった時、あえて現在の主流となる考え方や、今までとったことのなかった手段から選択肢を作り出してみるのは大切かもしれません。
そこに実は、思いもよらない形で欲しいものが手に入る活路があるのかも。大雪の東京の中で、そんな人生の一工夫を加える重要性と、ゲーム的な面白さを感じたのでした。
この記事へのコメントはありません。