要はメリハリ
情報のアンテナを張り巡らせることの大切さって、ジャンルを問わず様々な場面でよく耳にしますよね。
特に、ビジネス書の自己啓発本なんかでは特に多いんじゃないでしょうか。
ネット、TV、ラジオなど媒体を問わず膨大な量の情報が流れている現在。
ITを中心に数々の発明や技術の進歩、ビジネスが生まれる中で取り残されないためには、常に最新の情報を脳にアップデートしていくことが重要、なんてことは世代を問わず方々で聞いたりします。
そうした情報に対するアンテナ同様、自分はその情報に対してどう思うのかといった感性のアンテナも敏感にしておくことが大切に感じます。
ある事象を情報として手に入れることはもちろん、そこに自分の思いやその情報を通じて思い描いたアイディアを積み重ねて実践したり形にすることで、その人のセンスというのは形成されていくでしょう。
ただ、このアンテナの感度を「どの方角に向けて」上げておくかを決めておかないと、痛い目を見る羽目になります。
アンテナを張る=全てに反応するということじゃない
情報というのは何もニュース的なものだけではありません。
今話している職場の同僚、あるいは上司の視線や素振り、会話の内容、遠目で聞こえる怒号に至るまで。
五感を通して得られるありとあらゆるものが、情報に当てはまることでしょう。
こうした情報に対しても敏感でいると何が起こるのか。
脳みそがショートします。
あの人はなぜあんなに怒っているんだろう。
なぜあいつはあの時こんな言い草をしてきたんだろうか。
彼女はいつもトゲのある表現をしてくるなあ。
彼はなんであんなぶっきらぼうな物言いでしか指示ができないんだろう。
ネット上、リアルを問わずこうした日常の雑事に対してのアンテナの感度を上げたままだと、脳が疲労困憊して何も考えられなくなるのは言うまでもありません。
特に、新しいチャレンジをしている人には大きな問題です。
元々未知の領域に足を突っ込んでいる時点で頭はフル回転しているのにもかかわらず、それ以外のことにまで気を回していたら肝心のチャレンジが頓挫してしまいます。それじゃ元も子もないでしょう。
どうでもいい、という思考も時には必要
こうした人々の一挙手一投足が気になりだすと、それに対する思案は止まることを知りません。
そうなりがちな人に言ってあげられる言葉があるとしたら、「日常には『どうでもいい』という問題も、確実にそしてかなり多く存在する」ということです。
そんなどうでもいい事柄に対してあなたが気を揉んだり心を痛めたりしても、何の解決にも何の特効薬にもならないことが非常に多く存在するんです。
自分自身のやりたいことが明確になっているのに、それ以外のことに時間や労力を費やすのは「無駄」と言い切ってもいいくらいです。
アンテナは綺麗な円じゃない。もっともっと尖っていいということを、今日は伝えたいなと感じました。]]>
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