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今日は渋谷で仕事の後、池袋でパーソナルトレーニングでした。

グイグイ追い込んでもらって、背中もお腹も足もガクガク。トレーニング後は比較的食べるものの制限が緩くなるんで、トレーナーと一緒に家系ラーメンと餃子とビールを。

すごいですよ。まるで今しがた食べたものが地肉に変わるかのように、体へと吸収されていくあの感覚。ああ…たまらない。また明日から頑張れる。

「ビジネスを作れる人」というのが、間違いなく存在するなあとここ最近痛感しています。次から次へといろんな人脈が生まれ、そこからどんどん新しい仕事の種をまき、どんどん芽吹いていく人。

彼が持ってくる案件のいくつかに絡ませてもらっていますが、業界もジャンルも全然バラバラ。でも大抵、その種のトップシェアを誇る、知る人ぞ知るって感じの企業の重要人物とかを引き連れてくるんです。

あの人と僕とで何が違うのかな。それはもちろん才能、能力、適正とあげればキリがないんですが。

ある1つの境界線があって、あちらに彼がいて、こちらに僕がいる。間違いなく同じ領域内にはいない。それはなぜだろうか?

ひとえに、これは「出力」の高さに違いがあるんじゃないかなと思うんです。

読んで字のごとく、出す力。他の人がまずは知識を得て経験を重ねて…と準備を重ねているうちに、ビジネスを生む人はどんどん外に発信していくんです。

日常的に外への発信を行っている分、他の人よりも明らかに出力が高くなっています。

それに呼吸もそうだし食事もそうだけど、息吐ききったら吸うしかないじゃないですか。全力で体を動かしたら、何か口に入れないと死んじゃうじゃないですか。

出力で出し切ろうとしたら、当然限界がやってくる。現時点では達成できないものが出てくる。

そうなったら、死に物狂いで学ぶし、経験も得ようとする。だからこういう人たちって、出力も高ければ入力も抜群に高いんですよね。

今あるものを最短で出し切って、必要なものは最短で吸収して。このサイクルが日常的に確立してるから、横で見るとあり得ないスピードでどんどん仕事を作っていくんだなあと。

でも、それは彼らにとって普通の話で。

気づかない間に置いていかれるのを見て「あいつは俺らとは違うから」みたいなこと言っちゃうわけですが、見ていない間に彼らがどんなことをやっているか、推して知るべしといったところでしょう。

仕事のクオリティを上げたり、今よりもレベルの高い仕事をしたいと思うなら、まず何かを学ぶんじゃなくて、自分の限界を思い知ることが大事。ここでもやはり、出力を上げて絞り出すという工程を挟むことになります。

その時、絶対に経験することは「恥」です。

俺は今、これだけの仕事しかできない。私は、この仕事にアサインするだけの実力があると見なされていない。現在地を思い知らされるというのは、不足を知るということ。これは間違いなく恥ずかしい経験です。

でも、だからこそ人の物事を学ぶ、経験する姿勢が本気になるわけです。

出力の高い人は、この「恥」に出会う機会に恵まれています。恵まれている、と書くとなんともいいことのようなイメージになりますが、実際ビジネスを生み出す人にとって恥とは「チャンス」のような存在ではないでしょうか。

自分の限界値を知る。それを乗り越えることで新たな成長とチャンスが舞い込んでくる。それを肌身で実感してきたからこそ、彼らにとって恥は恥でなくなっているのかもしれません。

ただ、ここで怖いことが2つ。

1つは、極端に恥ずかしい経験を恐れること。成長のチャンスを逃し、いつまでも同じ立ち位置に甘んじることになります。

もう1つは、恥に慣れきってしまうこと。無知であること、バカにされることの感覚が鈍ずることは、前者以上に自分も他人も傷つけていく結果を生み出しかねません。

ビジネスをどんどん創出していく人に感じた2つの特徴。

出力を意識して目の前の課題や人との出会いにアタックし続けること。恥ずかしいと感じる経験を大切にすること。

この2つを磨くことは、これから成し遂げたいことを実現させるための膨大な課題の中の1つです。

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