頭が湯立つほど言葉を浴びる
今日は午前中に家で原稿書いたり編集したり資料漁ったり。午後は外で編集のお仕事をしていました。
外部のライターさんと仕事をするときは、自分で書くときと途中まで同じ脳みそを使っているのに、さあ依頼しようという外部出力時には全く別人格というか、全く違う自分になっているのが楽しくもあり、また難しくもあります。
ここ最近、年末にいただいた案件に関連する資料を読んでいるのですが、まあ難しい。
BtoBの広報誌というだけあって、生きている世界が違うとさえ感じます。
Evernoteにそれぞれの単語の説明をメモして、「用語集」みたいにまとめているんですが、1ページ進めるごとに積み重なる専門用語の数。そしてそれを調べる時間。
いつもの読書ペースの5倍も10倍もかかっていて、約70ページある資料がまだ読み終わらない有様です(ごめんなさいOさん!!)
悪戦苦闘を繰り返しながら読み進めている時間。ふとそういえば、こういう頭がフルスロットルで動くような読書体験を、しばらくしてこなかったなあと思いました。
こういう最後の記憶はいつだったろう?ライターを始めた頃、警備員になった頃、新卒で会社に入社した頃と遡った時、思い至ったのが学生時代でした。
当時、ろくに英語も読めないくせに僕は英文学のゼミに入って、英和辞典を片手に必死こいて原書を読んでいた気がします。
他にも、関連する考察本や評論、あとは周辺の小説に触れてと、学生時代は割と本にどっぷり浸かった生活でした。いや、これは美化しすぎですね。延々と続くかのように感じた4年間、そこそこに本を読んで、そこそこに友達と遊んでいました。
過去の、現代の人々が書き記した言葉に触れ、肥やしとして頭に溜まっていく日々。あれだけ時間に終われずにただ読みたい本を読んでいた時期は、後にも先にも大学時代だけでした。
そして今。奇しくもライターとして仕事をする中で、出てくるのはあの時に読みためた言葉の数々。まるで体に蓄えた言葉を1つ1つ吐き出すように、物を書いています。
それから20代になり、就職して、転職して、退職して、フリーになって。気づけば小説らしい小説は一切読まないまま、気づけば30を超えていました。
そして今、自分の中から出てくる言葉が、なんとなくどこかパッとしない。
他にできるはずであろう表現の理想と、現実に出てくる言葉がうまく繋がらない。
そう思っていた1月。資料漁りがいいきっかけになりました。
決して叙情たっぷりの小説でもないし、人の気持ちを湧き立たせるようなビジネス書でもないし。BtoB向けの刊行誌から1つの着想を得るとは。なんか不思議で笑っちゃいます。
それからというもの、知りたかったもの、学びたかったことが書かれた本を片っ端からポチっています。
今、積ん読は以前買ったものも含めば10冊くらい?になりました。いつ読むんでしょうね。買っておいた自分が言うのも変ですが、とにかく手元に置いておきたくてたまらなかったんです。
今も相変わらず、遅々として進まない資料を読み進めています。これがひと段落したら、今度は何を読もうかな?それを考えると、ちょっとだけ仕事の手が早くなります。
クタクタになるけど、とても幸せで楽しい時間。
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